伊能忠敬が歩いた距離は約4万km|3.5万kmとの違い・1日約40km・歩数・歩幅69cm
当サイトのリンクには広告がふくまれています。

伊能忠敬が歩いた距離は
約 3.5〜4.4万km
本人が歩いた距離(歩程)が約3.5万km、測量隊全体の歩程が約4.4万kmで、地球一周(約4万km)とほぼ同じ。55歳から17年間、第1次〜第10次の測量で合計3,736日。
「伊能忠敬が歩いた距離」の答えは、本人の歩程で約3.5万km、測量隊全体の歩程で約4.4万kmです。検索すると「3万5千km」と「4万km(地球一周分)」の両方が出てきますが、どちらかが間違いなのではなく、数えているものが違います。距離と日数は伊能忠敬記念館の集計をもとにしています。「伊能換算」(歩いた距離が伊能の何日分か)の基準は、このうち1日約40kmの数字です。「伊能忠敬界隈」という言葉の意味は、伊能忠敬界隈とはへ。
伊能忠敬が歩いた距離は約3.5万km(本人)〜約4.4万km(測量隊)
「歩いた距離」は、何の距離かで3つの数字に分かれます。いずれも伊能忠敬記念館の集計(第1次〜第10次の合計)です。
| 数えているもの | 距離 | 説明 |
|---|---|---|
| 忠敬本人が歩いた距離(歩程) | 約35,107km | 第9次は不参加のため、隊の合計より短い |
| 測量した線の長さ(測量全歩程) | 約38,788km | 海岸線・街道など実際に測った線 |
| 測量隊が歩いた距離(測量隊全歩程) | 約43,712km | 測量地までの往復移動や分隊の行程も含む隊全体の歩程(人数分を掛けた値ではない) |
忠敬本人が歩いた距離は約3.5万km:「3万5千km」の出どころ
「伊能忠敬は約3万5千km歩いた」という数字は、忠敬本人の歩程 約35,107kmを丸めたものです。本人の歩程が隊全体より約8,605km短いのは、第5次以降に隊が二手に分かれて測る「手分け測量」が増え、忠敬が歩いていない区間を隊員が測っていることと、第9次の伊豆諸島測量に忠敬本人が参加していないことによります。「伊能忠敬が歩いた距離」と本人を主語にして聞くなら、答えはこの約3.5万kmです。
測量隊全体の歩程は約4.4万km:「4万km・地球一周分」の出どころ
「約4万km・地球一周分」という数字は、測量隊全体の歩程 約43,712kmを、赤道一周 約40,075kmと並べた言い方です。測量した線の長さ(約38,788km)に、測量地までの移動や測り直しの往復を足した距離で、陸路だけで4万kmを超え、ほぼ地球を一周した距離です(東京都測量設計業協会の解説)。本人の歩程 約3.5万kmで比べても地球一周の約88%です。換算ツールの「日本地図の何%」は、切りのよい40,000kmを分母にした値です。
↑ 目次に戻る伊能忠敬は1日に何キロ歩いた?移動の日は約40km
1日約40kmの根拠:第1次測量で江戸から津軽半島の三厩まで21日
「1日約40km」は、第1次測量(1800年)の往路の速さです。忠敬は1800年6月11日(寛政12年閏4月19日)に江戸・深川を出発し、奥州街道を北上して21日目に津軽半島北端の三厩に着きました。この間は蝦夷地の測量を冬までに終えるための急ぎ足で、歩測(歩数を数えて距離を出す方法)を続けながら1日およそ40kmを進んだとされています(Wikipedia「伊能忠敬」、記念館の第1次測量の日程)。距離の目安として、現在の国道4号(日本橋〜青森、約740km)に青森から三厩までの約45kmを足すと約785kmで、21日で割ると1日約37kmです。現代の歩き方に直すと、時速3.5kmで歩き続けて11時間30分、休憩を足すと日中の大半を歩くペースです。
総日数で平均すると1日約9.4km:測量の日と移動の日で差が大きい
一方で、本人の歩程 約35,107kmを総日数3,736日で単純に割ると1日平均 約9.4kmです。測量の日は測る・記録する・夜は天体観測という繰り返しで数kmしか進まず、雨で滞在する日や、宿場や藩との段取りで動けない日もあるからです。つまり「1日40km」は毎日の平均ではなく、測量をせずに移動した日の速さです。伊能換算が40kmを基準にするのは、「伊能忠敬が本気で歩いた1日」と自分の歩いた距離を比べるためです。滞在日を含む17年間の平均(約9.4km)で割ると、身長165cmの約1.3万歩で伊能の1日分に届いてしまい、比べる意味が薄れます。
↑ 目次に戻る伊能忠敬の歩幅は69cm、1日40kmなら約5.8万歩
歩幅69cmの根拠:1町(約109m)を158歩で歩いた記録
忠敬の歩幅 約69cmは、記念館所蔵の記録にある「1町に158歩」から出ています。1町は60間=360尺で、1尺=30.3cmとすると約109m。これを158歩で割ると1歩=約69.0cmになります(計算の説明は東京書籍 math connect「伊能忠敬の歩き方」)。江戸の尺貫法でいう二尺三寸(約69.7cm)とほぼ同じ長さです。忠敬はこの歩幅で一定に歩けるよう訓練し、第1次測量では歩数から距離を出しました。第2次以降は間縄や鉄鎖で測るのが主になりますが、歩幅69cmは伊能測量を象徴する数字として残っています。
身長165cmの人の歩幅は身長×0.45で約74cmなので、忠敬の歩幅はその約93%です。現代の歩幅の平均と身長別の目安は歩幅の平均の記事へ。
伊能忠敬の歩数は1日約5.8万歩、17年間の合計で約5,100万歩
歩幅69cmで40km歩くと、40km÷0.69m=約57,971歩(約5.8万歩)です。歩幅69cmが全行程で一定だったと仮定して本人の歩程 約35,107kmを割ると、17年間の合計は約5,088万歩という推計になります。現代の歩数計で1日57,971歩を出すのは、身長165cm・歩幅74cmの人で約43kmを歩いた日にあたり、山手線一周(徒歩約42km)に近い距離です。
↑ 目次に戻る伊能忠敬の測量は何年かかった?55歳から17年間・第1次〜第10次の内訳
忠敬が測量に出たのは1800年(寛政12年)、55歳のときです。1816年(文化13年)の第10次まで17年間で10回、日数の合計は3,736日でした。地図『大日本沿海輿地全図』が完成したのは忠敬の没後、1821年(文政4年)です。各回の年・地域・日数は記念館の集計です。
| 回 | 年 | 出発時の年齢 | 地域 | 日数 |
|---|---|---|---|---|
| 第1次 | 1800(寛政12) | 55歳 | 奥州街道・蝦夷地(北海道)南東岸 | 180日 |
| 第2次 | 1801〜02(享和元〜2) | 56歳 | 伊豆・本州東海岸 | 230日 |
| 第3次 | 1802(享和2) | 57歳 | 羽越(東北の日本海側) | 132日 |
| 第4次 | 1803(享和3) | 58歳 | 東海・北陸 | 219日 |
| 第5次 | 1805〜06(文化2〜3) | 60歳 | 近畿・中国 | 640日 |
| 第6次 | 1808〜09(文化5〜6) | 63歳 | 四国 | 377日 |
| 第7次 | 1809〜11(文化6〜8) | 64歳 | 九州(1回目) | 631日 |
| 第8次 | 1812〜14(文化9〜11) | 66歳 | 九州(2回目)・屋久島・種子島 | 913日 |
| 第9次 | 1815〜16(文化12〜13) | 70歳 | 伊豆諸島(忠敬本人は不参加) | 340日 |
| 第10次 | 1816(文化13) | 71歳 | 江戸府内 | 74日 |
第1次〜第4次(1800〜1803年):蝦夷地から東日本を4年で
最初の4回は1年に1回のペースで、蝦夷地の南東岸、本州の太平洋側、東北の日本海側、東海・北陸と東日本を測り終えました。日数は合計761日。ここまでは幕府の補助が少なく、費用の多くを忠敬が自分で負担しています。第1次の歩測から第2次以降の間縄・鉄鎖による測量へと方法が変わったのもこの時期です。
第5次〜第8次(1805〜1814年):西日本に約10年、総日数の約69%
第5次からは幕府の直轄事業になり、隊の人数も増えました。近畿・中国に640日、四国に377日、九州は2回に分けて合計1,544日と、1回の測量が1年半〜2年半に延びています。この4回だけで2,561日、総日数の約69%を占めます。
第9次・第10次(1815〜1816年):伊豆諸島と江戸府内
第9次の伊豆諸島は船で渡る測量で、70歳の忠敬は江戸に残り、隊だけが向かいました。本人の歩程が隊の合計より短い理由の一つがこの回です。最後の第10次は江戸府内の74日で、71歳の忠敬も参加しています。忠敬はその2年後、1818年に亡くなり、地図は弟子たちの手で完成しました。
↑ 目次に戻る現代の距離を伊能忠敬に換算すると:山手線一周=伊能の約1.1日分、1万歩=約0.2日分
「伊能換算」は、歩いた距離を1日40kmで割った日数です。山手線一周を徒歩でたどる約42kmは伊能の約1.1日分、皇居一周 約5kmは約0.13日分、身長165cmの1万歩(約7.4km)は約0.2日分です。
換算
山手線一周(約42km)は、伊能忠敬の移動日の速さ・1日約40kmの 約1.1日分。
歩幅は身長165cmで約74cm、伊能の69cmの約1.08倍。同じ42kmを伊能は約60,870歩、身長165cmの人は約56,757歩で歩きます。
「伊能の何日分」「日本地図(約4万km)の何%」「歩幅は伊能の何倍」は、自分の歩数や距離を伊能忠敬換算ツールに入れると出せます。歩数から距離への換算は歩数と距離の目安・早見表へ。
